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福岡高等裁判所宮崎支部 平成8年(ネ)169号 判決

事実及び理由

第三 当裁判所の判断

一  前提事実

前記の、当事者間に争いのない事実及び弁論の全趣旨と証拠により明らかに認められる事実に、〔証拠略〕を総合すると、以下の事実を認めることができる。

1  当事者

(一)  控訴人は、当時、鹿児島大学教養部の学生であって、平成二年度及び同三年度には、同大学教養部学生自治会の委員長を務め、同四年四月からは、同大学の文科系サークルの連絡協議会である「文科系サークル連絡協議会」の委員長、右学生自治会の書記長を務めるなど、同大学に入学以来、右のような学生自治会や文連協の活動、とりわけPKO協力法反対などのいわゆる反戦平和運動を中心になって進めてきた者である。鹿児島大学学生自治会は全日本学生自治会総連合(全学連)に所属しており、全学連は全国の大学の学生自治会が所属する団体であるが、その執行部の中には革マル派の方針を支持している者がいるため、革マル系の全学連と呼ばれていた。

控訴人は、昭和六二年三月に高等学校を卒業後、同年四月から大学受験のため浪人し、両親と共に鹿児島市山田町〔番地略〕(以下「山田町」という。)に居住していたが、同六三年四月鹿児島大学に入学後、友人宅に泊ることが多くなり、平成二年二月頃から鹿児島市荒田〔番地略〕有村ビル〔番号略〕(以下「有村ビル」という。)に住む友人の足立明方に寝泊まりするようになり、山田町には時々帰る程度となった。母敏子は、控訴人が有村ビルにいることを知っており、有村ビル宛に控訴人への手紙を出していたが、両親とも、有村ビルを訪ねたことはなかった。その後、控訴人の両親は鹿児島県川辺郡坊津町泊〔番地略〕(以下「坊津町」という。)に移ったが、山田町には控訴人の姉達が住んでいた。山田町に残されていた控訴人の住民票は、平成三年一〇月両親の届出により坊津町に移されたが、運転免許証上の住所は、免許取得当時の山田町のままであって、控訴人は、その後、運転免許証上の住所及び住民票上の住所を変更していない。なお、控訴人は、鹿児島大学に有村ビルを住所として届けていた。

(二)  当時、水迫、米澤は、鹿児島県警察本部刑事部捜査第一課機動捜査隊の警察官、清水検察官は、鹿児島地方検察庁の検察官であり、一木裁判官は、鹿児島地方裁判所の裁判官であった。機動捜査隊は、強盗、殺人など、重要事件の初動捜査を職務としており、重要事件の発生がない場合には、市内の警らをし、不審者に対して職務質問するなどして、各種犯罪の予防、検挙に当たっていた。渡邊新二警部、福田和也警部補、坂口哲生巡査部長、野付政輝巡査部長、永吉秀喜巡査、山下陽一巡査は、南警察署の警察官で、渡邊警部は交通課の課長、福田警部補は交通課指導取締り係の責任者である課長代理で、坂口巡査部長はその直属の部下の主任であって、通常、身柄事件を担当しており、永吉巡査はその部下であった。交通課指導取締り係の職務は、交通事故防止のため、交通の指導取締り、暴走族の取締り、交通反則制度の運用を担当するもので、交通課には、他に事故係、規制係、免許係があった。野付巡査部長は、交通課事故係に所属していたが、本件逮捕当時の交通課の当直であった。

2  本件逮捕に至る経緯

(一)  水迫は、平成四年八月三〇日午前零時三〇分頃、機動警らのため、助手席に米澤、後部座席に実習生鹿児島西警察署司法巡査磯脇仙佳、実習生名瀬警察署司法巡査福元宏之を同乗させ、二〇六号車(なお、備付の警報装置を装着しない場合には、外見上は警察車両と判断することはできない。)を運転し走行していた。なお、四名とも私服であった。

(二)  控訴人は、原付自転車を運転し、本件交差点を鴨池新町方面から新栄町方面に向かって右折進行し、直進進行していたところ、同日午前零時三五、三六分頃、鶴ヶ崎橋バス停付近路上にさしかかった際、二〇六号車が原付自転車に追いついた後併走し、併走後約三〇メートル進行した(原審証人米澤平成六年六月一三日付尋問調書160項、169項)鹿児島市新栄町二二番二号南国建機サービス株式会社鹿児島工場横道路上で原付自転車が停止し、その四、五メートル前方で二〇六号車が停車した(同日付尋問調書176項)。

(三)  そして、水迫らが降車し、控訴人に警察手帳を示して職務質問をしていたが、後に警察本部司令室から当直に「三和町の本通り上でオートバイ乗りの男が五、六名の男に囲まれているらしい」、「喧嘩とも思われるので警察官を直行させよ」との無線指令を聴取して、現場に到着した南警察署のパトカー及び捜査車両に乗車していた警察官らがこれに加わり、運転免許証を見せるように求め、原付自転車のエンジン停止を求めたり、信号無視を指摘したり、飲酒の疑いがある旨指摘したり、任意同行を求めたりした。それに対し、控訴人は信号無視を否認し、運転免許証の提示や任意同行を拒否した(なお、原審証人水迫は、その際に水迫らは控訴人に交通反則制度の説明は一切していないと供述しており、原審証人米澤は、若干その説明をした旨供述しているが、原審控訴人本人はその説明を受けていないと供述している。また、原審証人水迫及び同米澤は、控訴人に住所氏名を尋ねたがその回答を拒否されたと供述し、原審控訴人は、そのようなことはない旨供述している。)。そのやりとりの途中で、水迫は、現場を米澤に任せ、約二、三〇メートル離れた公衆電話で、機動捜査隊の班長であった田中警部補に控訴人を現行犯逮捕するか否かの指揮伺いをし、現行犯逮捕相当との回答を得たが、所轄である南警察署の指揮伺いをするよう指示されたので、現場に戻り、右電話中に前記車両で現場に到着していた山下巡査を介して、南警察署当直主任の福留秀三警部に指揮伺いをしたところ、福留警部は、交通課当直の野付巡査部長を通じ、渡邊警部、坂口巡査部長に電話連絡をし、現行犯逮捕相当との判断を得たので、山下巡査にその旨連絡した。

(四)  そこで、水迫らは、同日午前一時五分頃、控訴人に現行犯逮捕する旨を告げたところ、控訴人は運転免許証を提示する旨申入れた。しかし、水迫らは逮捕行為に着手した以上、逮捕行為を完了して身柄を引致するのが責務であると判断し、逮捕行為を継続し、直ちに、山下巡査が出した手錠を米澤巡査が受け取り、同日午前一時五分控訴人に手錠をかけ、逮捕した。なお、控訴人は、右逮捕行為には素直に応じた(山下巡査作成の捜査報告書(〔証拠略〕)中には「巡査米澤照明が、道路交通法違反(信号無視)の現行犯として逮捕すると告げて逮捕した。その際、被疑者が急に立ち上がり信号無視だったらわかります。免許証も出しますと申し立てた。」と記載された部分があるが、後記のとおり、「信号無視なんかしていない。」と強く否定していた控訴人が「信号無視だったらわかります。」などと簡単に前言を翻し、その後完全黙秘を通すとは到底考えられず、右報告書の記載は到底採用できない。)。

(五)  右逮捕の際、同日午前一時六分から一〇分まで捜索差押がなされ、原付自転車、そのエンジンキー、運転免許証、ヘルメットが差し押えられた。右の運転免許証には、氏名早水潤二、生年月日昭和四三年六月七日住所鹿児島市山田町〔番地略〕と記載があった。また、エンジンキーは、控訴人の着用していたズボンの右ポケットから差し押えられた。

3  本件交差点は、鶴ヶ崎方面から鴨池緑地公園方面が青信号の場合は、鴨池新町方面から三和町方面の信号は必ず赤であった。

4  水迫らは、控訴人を、南警察署のパトロールカーの後部座席に両脇を前記実習生が挟む形で乗車させ、平成四年八月三〇日午前一時三〇分に南警察署に引致した。また、その頃、山下巡査は、運転免許証の記載に基づき、控訴人名の犯罪経歴の有無を照会し、該当なしの回答を得た。なお、運転免許証に偽造の疑いはなかった。

野付巡査部長は、被疑事実を道路交通法違反(信号無視、同法七条、四条一項、一一九条一項一号の二、同法施行令二条一項)として控訴人から弁解録取したが、控訴人は、被疑事実、氏名、住所等及び運転免許証と同一人物かについて黙秘し、電話番号〔番号略〕に連絡をとって欲しい旨供述し、弁解録取書への署名、押印を拒否した。また、水迫及び米澤は、現行犯人逮捕手続書、捜索差押調書等の関係書類を作成して担当警察官に引継いだ。

なお、水迫及び米澤は、本件被疑事件に関する同日付捜査報告書(〔証拠略〕)を作成したが、同報告書には、「水迫が米澤等を同乗させ、二〇六号車を運転し、前同日午前零時三二分頃新栄町方向から本件交差点に向かって時速約三〇キロメートルで進行していたところ、同交差点の手前約三〇メートルの本判決添付別紙図面(二)(以下「図面(二)」という。)<1>地点で、本件交差点の対面信号が青色であったから、時速約一五キロメートル(なお、この部分については、一度三〇キロメートルとの記載がなされたが、後に、坂口巡査部長の手によって一五キロメートルと訂正され、水迫の印が押されている。)で進行し、横断歩道手前約二メートルの地点である同<2>に至り、対面信号が青色であったから、停止せず、左折しようとした際、鴨池新町方向から時速約四〇キロメートルで本件交差点に向け進行して来る一人乗りの二輪車を同<ア>に認め、更に進行し、同<3>に至った際、右二輪車が同<イ>で対面赤色信号を無視し、本件交差点を新栄町方向に右折進行するのを認め、更に進行して、同<4>で右二輪車と離合し、左折を終了した同<5>でUターンすると同時に赤色灯を点灯し、サイレンを吹鳴させ、本件交差点を新栄町方向に向け右折し、同<6>で前方をみると、約二〇〇メートル先に右二輪車を認め、さらに追尾を続け、前記逮捕場所で控訴人運転の原付自転車を停止させた。そして、控訴人に運転免許証の提示を求めたが拒否され、信号無視の点を指摘してもその質問を受け付けず、名前の回答、右二輪車からの降車も拒否され、二輪車のエンジンもつけていた等からも逃走のおそれが充分あると認められたため、同日午前一時五分頃、控訴人を道路交通法違反(赤色信号無視違反)として現行犯逮捕した。」旨記載されている。

5  同日午前九時一〇分、南警察署巡査部長濵﨑正弘は、山田駐在所勤務の警察官に、右運転免許証記載の本籍、住所、氏名、生年月日の者の在籍の有無及び家族構成を照会し、その者は鹿児島大学の学生であるが、右住所にはほとんど帰宅せず、所在不明であること、父實俊の氏名、生年月日、職業、母敏子の氏名、生年月日の他、姉妹の生年月日、職業、父母は指宿方面に居住しているが、住所の詳細は不明である旨の回答を得たが、照会を受けた警察官は山田町の姉らに控訴人の住居の問い合わせをしなかった。

6  同日午前一〇時ないし一〇時三〇分頃、坂口巡査部長は控訴人を取調べたが、控訴人は一切を黙秘した。同日午前一〇時五〇分から一一時三五分まで、立会人を控訴人、水迫及び米澤とする実況見分が実施され、本判決添付別紙図面(三)(以下「図面(三)」という。)添付の同日付実況見分調書(〔証拠略〕)が右坂口巡査部長によって作成された。右実況見分の際も、控訴人は、進行方向や信号機の色の状況、停止場所等を黙秘した。他方、同実況見分調書には、水迫及び米澤は、水迫が二〇六号車を運転して、走行中、水迫及び米澤が、鴨池新町方面から新栄町方面に右折進行して来た原付自転車が信号無視違反をしたのを現認したとして、概略以下のとおり指示説明した旨の記載がなされている。水迫は、二〇六号車の速度は時速一五キロメートル、図面(三)<ア>地点で対面する信号は青色、違反車両を最初に見た地点は同<イ>、この時違反車両は同<1>、その時の二〇六号車の対面信号は青色、違反車両の対面信号は赤色、そのまま進行してくる違反車両を見た地点は同<ウ>、この時の違反車両は同<2>、この時二〇六号の対面信号は青色、違反車両の対面信号は赤色、右折してきた違反車両とすれ違ったのは同<エ>、水迫らがUターンしたのは同<オ>、新栄町方向へ進行する違反車両を再び認めたのは同<カ>、この時の違反車両は同<3>、違反車両を停止させたのは同<キ>と指示説明し、米澤も同旨の指示説明をした。

7  担当警察官は、平成四年八月三一日午後二時、控訴人の身柄を、水迫及び米澤作成の現行犯人逮捕手続書、現行犯逮捕当時控訴人が乗車していた原付自転車等の捜索差押調書、福田警部補及び坂口巡査部長作成の捜査報告書、水迫及び米澤作成の本件被疑事実の現認報告書、水迫及び米澤が立会し、本件被疑事実の現認状況を指示説明した実況見分調書、本件被疑事実発生場所の信号現示についての電話受発書、控訴人の犯罪経歴照会回答書、録取内容に誤りはないとしながら署名指印を拒否した旨の司法警察員作成にかかる控訴人の弁解録取書、南警察署山田駐在所に対する控訴人の在籍照会書、山下巡査の作成した本件逮捕現場に臨場した経緯等が記載された報告書(〔証拠略〕)等の一件記録とともに、勾留相当の意見を付して鹿児島地方検察庁に送致し、同日午後二時四五分、鹿児島地方検察庁は送致を受けた。

8  それらと前後し、福田警部補が、平成四年八月三〇日午前九時二、三〇分頃、控訴人から申告のあった電話番号に電話し、「解放社」と名乗った相手方に対し、控訴人を逮捕した旨連絡したところ、解放社全日本学生自治会総連合の救援対策部は、町田正男弁護士に連絡し、控訴人の弁護を依頼した。町田弁護士は、同日午後一時三〇分頃、電話で福田警部補に電話をし、事情の説明を求めたところ、信号無視ではあるが、住所、氏名についても完全黙秘だから、そのままの状態であれば、明日身柄付きで送検になる旨の返答を受けたので、同弁護士は、捜査状況等を確認し、その所属する法律事務所の弁護士を鹿児島市に赴かせる旨を伝えた。右事務所に所属する永見寿実弁護士は、同日午後一〇時頃南警察署を訪れ、当直責任者の警察官に控訴人との接見を求めるとともに控訴人の身柄の引受けを申し出て、即時身柄の釈放を求めたが、拒否された。そこで、同弁護士は、控訴人と接見したが、控訴人は、本件被疑事実を否認し、有村ビルを出発した直後から不審車に追尾されており、慎重に車を運転していたので、信号無視の事実はないと述べた。そこで、永見弁護士は右警察官に控訴人の逮捕は不当逮捕であり、即時釈放することを求めたが断られた。なお、右接見の際に、右弁護士は看守を通じて控訴人からの弁護人選任届を受け取ったが、それには「早水潤二」と署名されており、指印もあった。同弁護士は、同月三一日午前八時三〇分頃、控訴人に再び接見し、事情聴取をした後、福田警部補に対し、留置の必要性がないとして、身柄の引き受けと即時釈放を求めたが、埒があかなかった。その過程で、同弁護士は、刑事訴訟法上交付が義務づけられている押収品目録(刑事訴訟法一二〇条)も控訴人に交付されていないことを知り、福田警部補に抗議し、ようやく、その交付を受けた。同弁護士は警察官との交渉が進展しないので、検察官と交渉することとし、警察との折衝を渡辺千古弁護士に依頼し、渡辺弁護士は県警捜査一課長及び鹿児島南警察署長に電話し、控訴人の釈放要求をしたが、進展はなく、結局、既に検察官に送致済みなので、自らの判断で釈放できないとして拒否された。

9  清水検察官は、平成四年八月三一日午後四時五分に控訴人の弁解の録取をしたが、控訴人は住所、氏名、犯罪事実、早水潤二ではないかとの質問に黙秘し、調書の署名押印も拒否した。清水検察官は、担当警察官に、控訴人の両親に被疑者が控訴人であるかの人定をし、控訴人の住所を尋ねるよう指示した。福田警部補及び坂口巡査部長は、同日午後五時頃、初めて控訴人の父實俊及び母敏子に連絡をとり、同日午後七時頃、實俊、敏子に控訴人の面通しをさせ、控訴人である旨の確認を得たうえ、さらに、福田警部補が實俊から、坂口巡査部長が敏子から、控訴人の住居及び家庭状況等についての事情聴取をし、その供述調書を作成した。右事情聴取において、實俊は、控訴人の住居を知らない旨供述し、控訴人の生活状況等については、鹿児島大学入学当時は山田町の姉らと同居していたものの、入学一年経過後からは一人で市内のアパートに居住するようになり、山田町にも帰ることはほとんどなく疎遠になっていた旨の供述をした。しかし、敏子は、控訴人は「鹿児島市荒田二丁目有村ビルの三階に部屋を借り」ている旨述べ、その旨供述調書に記載された。事情聴取の前後に、福田警部補から尋ねられて、實俊は、控訴人の身柄を引き受ける用意がある旨回答した。なお、敏子は、当時有村ビルの番地を少なくとも自宅のメモには記載しており、有村ビルに宛てて郵便物を送ってもいたが、質問されなかったので、郵便物を送付していた点は供述しなかった。また、担当警察官は、敏子の供述した「鹿児島市荒田二丁目有村ビル三階」について、所轄の派出所に問い合わせたり、地図で番地を確認するなどの補充捜査は一切行わず、敏子に番地が分れば連絡するようにとも伝えていなかった。福田警部補らは、翌九月一日午前九時三〇分頃に清水検察官に控訴人の両親の事情聴取でも控訴人の住居が判明しなかった旨を電話し、同日午前一一時頃、清水検察官に右各供述調書を追送した。

10  永見弁護士は、清水検察官に対し、同日午後一時三〇分頃と同四時三〇分頃に面会し、控訴人に信号無視の事実はなく、逮捕は政治目的の不当なもので、信号無視があるとしても事案は軽微で、過失による可能性もあり、控訴人の身元も判明しており、逮捕、勾留の必要性もなく、捜査の必要性もないとして、自ら身元引受人となることも話を出して、控訴人を直ちに釈放するよう求めたが、清水検察官は拒否した。

11  検察事務官山下広文は、被疑者が鹿児島大学に在学する控訴人と同一人物と思料されること、控訴人が自治会執行委員長に就任し、デモ等に参加している活動家であること及び野付巡査部長の弁解録取の際に控訴人の申し出た連絡先の電話番号が解放社九州支社(革マル派九州地方事務所)であることなどを内容とする平成四年八月三一日付報告書を作成した。

12  清水検察官は、控訴人は住所不定であると判断し、平成四年九月一日午前一一時三〇分ころ、鹿児島地方裁判所に、控訴人の身柄と共に送致された送致記録に控訴人の両親の供述調書等を添付し、被疑者氏名を早水潤二と思料される者(鹿児島南警察署留置番号七二、別添運転免許証の写しの写真の男)とし、原判決添付別紙四記載のとおり刑事訴訟法六〇条一項一号ないし三号相当の理由があるとして、控訴人の勾留を請求した。

13  一木裁判官は、同日午後控訴人の勾留質問をしたが、控訴人は、氏名、年齢、職業、住居、本籍等を黙秘し、「被疑事実については、全くでたらめなので、一切否認します。詳細については、すべて法廷で明らかにします。」と答え、勾留通知先も答えず、調書への署名押印も拒絶した。一木裁判官は、刑事訴訟法六〇条一項一号ないし三号の事由があるとして、勾留場所を鹿児島拘置支所とし、勾留状を発付した。

なお、永見弁護士は、右勾留質問に先立ち、一木裁判官に面会し、控訴人には信号無視の事実はなく、逮捕は政治目的の不当逮捕で、信号無視があるとしても事案は軽微で、過失による可能性もあり、控訴人の身元も判明しており、逮捕、勾留の必要性もなく、捜査の必要性もないとして、梓訴人を直ちに釈放するように求めた。

14  清水検察官は充平成四年九月二日午前一一時頃、永見弁護士に電話し、控訴人に供述するよう説得して欲しい旨要請したが、永見弁護士は黙秘を解くか否かは控訴人の意思に任せる旨伝え、右要請を拒否した。同日午後一時頃、西沢弁護士が清水検察官に面会し、控訴人の釈放を要求し、合わせて、県警本部に抗議行動を行っていることを告げた。

15  控訴人は、同日午後四時ごろ処分保留のまま釈放され、同月七日起訴猶予処分となった。なお、勾留請求がされた後に本件被疑事実に関してされた捜査は、清水検察官の同月二日の控訴人に対する取調べのみで、清水検察官から南警察署に住所等の補充捜査の指示はなく、担当警察官らも捜査しなかった。また、控訴人は右取調べでも、従前の態度を翻さなかった。

16  控訴人は、平成四年九月八日頃、水迫や米澤らを特別公務員暴行陵虐罪で告訴し、また、同月二五日本件訴訟を鹿児島地方裁判所に提起した。

17  右告訴及び提訴を受け、右告訴事件の担当検察官の指示により、再度実況見分がされ、坂口巡査部長、永吉巡査は、平成四年一一月六日、前に作成された実況見分調書(〔証拠略〕)中距離関係及び図面(三)を一部訂正する旨の捜査報告書(〔証拠略〕)を作成したが、訂正後の図面は本件添付別紙図面(四)(以下「図面(四)」という。)である。そこにおいて、訂正された点は二点あり、第一点は水迫らが違反車両を。再び認めた地点を鶴ヶ崎橋手前交差点内(図面(四)<3>)としていたのを鶴ヶ崎手前停止線付近(図面(四)<3>)と訂正したことに伴い、<カ>と<3>の距離が一八〇メートルから一六九・二メートルに訂正された点、第二点は鶴ヶ崎付近の交差点の形状について、ステレオカメラによって作成する際、裏返していたため、左右が逆となっていたのを正しく訂正した点であった。また、前に水迫及び米澤が作成した捜査報告書(〔証拠略〕)中、図面を右第二点のとおり訂正する旨の水迫及び米澤名義の同日付捜査報告書(〔証拠略〕)が作成された。

二  そこで、まず、本件現行犯逮捕の適否のうち本件被疑事実の存否について検討する。

1  被控訴人県は、水迫及び米澤が本件被疑事実を現認した旨主張し、同人ら作成の現行犯人逮捕手続書(〔証拠略〕)及び平成四年八月三〇日付捜査報告書(〔証拠略〕)の各記述、同日付実況見分調書(〔証拠略〕)の同人らの指示説明並びに同人らの原審証人尋問における各証言は、それに副うものである。

そして、右各証拠の記述及び証言は本件被疑事実の現認の状況ばかりでなく現認に至るまでの警らの経過についても概ね一致しており、その間に変遷がなく、また、その内容も詳細かつ具体的であり、各証拠間にも矛盾がないこと、水迫及び米澤が本件被疑事実を現認したというときは二〇六号車に実習生を乗せて機動捜査警ら中であったことは右各証拠の記述及び証言の信用性を高めるものと考えられる。

しかしながら、関係各証拠を子細に検討すると、右のような点を考慮しても、以下に詳述するとおり、交通違反被疑事件を警察官が現認し、現行犯逮捕した直後に作成されたものとして被疑事実の認定に極めて重要な証拠である右現行犯人逮捕手続書、捜査報告書及び実況見分調書中には無視し得ない部分について後に訂正がなされており、しかも、その訂正の経緯が不明朗で、訂正後の内容に従っても辻つまの合わない点があり、また、違反を現認した警察官の現認直後の対処の仕方としては、水迫及び米澤の説明する対処の仕方には不自然な点が認められ、更には、職務質問時の状況についての水迫及び米澤の証言内容には採用し難い点がある等、右関係各証拠には見逃すことができない疑義がある。そして、また、本件の被疑事実が交通反則制度適用可能な事案であり、被疑事実があれば反則金の納付で済ませることが可能であるのに、控訴人が職務質問を受けた時点から一貫して本件被疑事実を強く否認していることをも考慮すると当前記各証拠中、本件被疑事実の現認に関する部分は、本件被疑事実の現認を証する証拠として採用することはできない。

(一)  現行犯人逮捕手続書(〔証拠略〕)及び平成四年八月三〇日付水迫及び米澤作成の捜査報告書(〔証拠略〕)の訂正の内容と訂正の経緯について

(1) 原審証人水迫及び同米澤の各証言によれば、右逮捕手続書及び捜査報告書は、同人らが控訴人を逮捕し、南警察署に引致した後、水迫が下書きを作成し、それに基づき、米澤が清書したものであることが認められ、また、同各証言及び右逮捕手続書及び捜査報告書によれば、同逮捕手続書及び捜査報告書には、二〇六号車が本件交差点に差しかかり、本件交差点を左折したときの速度について、当初、「時速約三〇キロメートル」と記載されていたが、後に、「時速約一五キロメートル」と訂正されたことが認められる。

ところで、右捜査報告書には、現場付近見取図として別紙図面(本判決添付別紙図面(二)はその写し)が添付され、水迫及び米澤が本件被疑事実を現認した時の説明として、同人らが本件交差点の対面信号が青色であることを確認したという本件交差点の手前約三〇メートルの地点は同図面の<1>地点、対面信号の青色を、確認し、鴨池新町方面から時速約四〇キロメートルで本件交差点に向け進行して来る本件原付自転車を認めた横断歩道手前約二メートルの地点は<2>地点、その時の二輪車の位置は<ア>の地点、同二輪車が対面信号が赤色信号を無視して同交差点を新栄町方面に右折するのを現認したのは<3>地点、その時の二輪車の位置は<イ>地点、二〇六号車と二輪車が離合したのは<4>地点である旨が記載されている。

そして、平成四年八月三〇日付実況見分調書(〔証拠略〕)には、右捜査報告書記載と同じ内容の指示説明があり、同実況見分調書添付の別紙図面(本判決添付別紙図面(三)はその写し)には、符号は異なるが右捜査報告書と同一地点に指示説明の地点の表示と各地点間の距離が記載されており、これによると、右図面(二)の<3>地点から<4>地点(右図面(三)では<ウ>地点から<エ>地点)の距離は五・八メートル、右図面(二)の<イ>地点と<3>地点(右図面(三)では<2>地点から<ウ>地点)の距離は二四メートルであることが認められる。

(2) そうすると、二〇六号車が右捜査報告書の図面である右図面(二)の<3>地点から<4>地点の五・八メートル進行する間に、原付自転車は右(二)の図面の地点から<4>地点付近(右図面(三)では<2>地点から<エ>地点付近)までの約一八・二メートル(右図面(二)の<イ>地点と<3>地点の距離二四メートルから<3>地点と<4>地点の距離五・八メートルを引いたもの)進行したことになるから、原付自転車の速度は二〇六号車の速度の約三・一倍であるという計算になるので、原付自転車の速度が水迫及び米澤の説明のとおり約四〇キロメートルであったとすると、二〇六号車の速度は約一二・九キロメートルということになるので、二〇六号の左折速度が訂正後の時速約一五キロメートルというのであれば、その誤差というものは許容し得る範囲内といえなくはないが、二〇六号の速度が訂正前の時速約三〇キロメートルというのでは、明らかに許容し得る誤差の範囲を超えることになり、したがって、二〇六号車の速度に関する訂正は見逃すことができないことになる。

(3) そこで、右走行速度が訂正された経緯について検討する。

この点について、被控訴人県は、平成四年八月三〇日に水迫及び米澤が控訴人を南警察署に引致後捜査報告書を作成し、坂口巡査部長に引き継ぎ、同坂口巡査部長が関係書類を確認し、二〇六号車が本件交差点を左折するに当たり減速していない記載になっていることに気付き、交差点を左折する際に減速しない筈はないと不審に思い、その旨を質問したところ、水迫も一五キロメートルに減速した状況が表現されていないことに気付き、その旨を坂口巡査部長に説明し、同巡査部長に訂正を指示して、訂正印は水迫自らが捺印したものである旨主張する。

右主張は、水迫が証人として平成六年一月一七日の原審証人尋問期日において被控訴人県の代理人からの質問に対して右の速度の訂正は坂口巡査部長から指摘があり同巡査部長に指示して訂正してもらったと答えた証言に基づくものであるが、水迫は、右期日の前の平成五年一〇月一八日に行われた原審証人尋問期日において、控訴人の代理人からの質問に対し、右現行犯人逮捕手続書及び捜査報告書は同証人が下書きをしたものに基づき米澤が清書したものであり、同証人がそれらの書面の出来上がったものを見て、それを読み返し、走行速度の記載が間違っていることに気付き、米澤に、「私が訂正してくれということで、消して、本人(米澤)が先程の訂正をしております」と証言し、記憶に間違いはないかと念を押された際も「間違いはないです」と断言していた(同日付尋問調書382項から415項)るのである。そのように断定的な証言をしていたにもかかわらず、後の期日における被控訴人県の代理人からの質問になって、前証言を翻したのであるから、証言の訂正にはそれなりの理由があって然るべきであるのに、その点について、同証人は単に坂口巡査部長に訂正してもらったことを失念していたと弁解するに過ぎず(同日付尋問調書237項から243項及び317項から349項)、その証言の撤回の理由には到底合理性があるとはいえない(前回期日の尋問は詳細であり、かつ、後の尋問における証言内容のような経緯により速度の訂正がなされたのであれば、同証人も認めているように、本件のような信号無視の交通違反被疑事件について被疑者が黙秘し逮捕するというような異例の事件は経験したことがなく特別な体験であったというのであり、また、本件事件から間をおかず本件訴訟が提起され、刑事事件として告発までされているのであるから、水迫の本件被疑事件に対する関心は高かった筈であり、同証人が弁解するように単に失念していたとか、前の証言は記憶違いによる証言であったとは到底考え難い。)。

また、この点に関する原審証人米澤の証言は伝聞で、かつ、曖昧なものであり(平成六年六月一三日付原審証人尋問調書308項から341項、平成六年九月一九日付原審証人尋問調書1項から11項)、原審証人坂口の証言に至っては、訂正の字が自らのものであることを認めるのみで、訂正の経緯については全く証言していない(同証人の尋問調書25項から34項、107項から121項、133項から141項)から、それらの証言によっては右速度の訂正の経緯は明らかにならない。

なお、前記実況見分調書(〔証拠略〕)には、水迫の指示説明によるものとして、二〇六号車の左折時の速度について、訂正されることなく時速一五キロメートルと記載されているが、この記載のみから、被控訴人県が主張する訂正の経過があったものと認めることはできないし、本件全証拠を検討しても、右の訂正が右実況見分の実施前か実施後かを実況見分調書作成の前か後かを確定するに足りる的確な証拠もない。

(4) そうすると、如何なる経緯で右の速度の訂正がなされたのかは不明であり、したがって、右現行犯人逮捕手続書及び捜査報告書の二〇六号車の走行速度についての訂正の点は不明朗であり、疑問があるといわざるを得ない(なお、追跡及び職務質問に関する後記のような疑問があることを考えると、右の二〇六号車の走行の点に関する現行犯人逮捕手続書及び捜査報告書の記述は、二〇六号車が従前の速度のまま青色信号で本件交差点に進入したことを記載することによって、控訴人運転の原付自転車が赤色信号無視をしたことは間違いないことを強く印象づけるために、当初、二〇六号車の速度は従前の速度のままの時速約三〇キロメートルと記載したが、それでは辻つまが合わないことから、関係者において作為的に時速約一五キロメートルと訂正されたのではないかとの疑いさえ生じる。)。

(二)  右実況見分調書(〔証拠略〕)の訂正に関する平成四年一一月六日付坂口哲生及び永吉秀喜作成の捜査報告書(乙ロ一四)の作成について 右乙ロ一四の捜査報告書(以下、単に「乙ロ一四」ともいう。)は、前記のとおり、本件被疑事実により控訴人を現行犯逮捕した当日に作成された実況見分調書(〔証拠略〕)を本件提訴後に訂正する趣旨で作成されたものであり、同報告書には別紙図面(本判決添付別紙図面(四)はその写しである。)が添付されている。

(2) そこで、まず、乙ロ一四の記載を基に、水迫及び米澤が説明する原付自転車を、発見したという後の走行経緯についてみると、二〇六号車が図面(四)<カ>地点の際、<3>地点を時速約四〇キロメートルで走行中の原付自転車を発見し、その後二〇六号車は時速約八〇キロメートルで走行して、原付自転車に追いつき、約三〇メートル併走した<4>地点で原付自転車は停止したが、その際の二〇六号車の位置は<キ>地点で、水迫らが原付自転車を発見してから併走を始めるまでに二〇六号車が走行した距離は約二八〇・二メートル(<カ>地点と<キ>地点の距離三一〇・二メートルから併走距離の三〇メートルを引いたもの)であって、その間の原付自転車が走行した距離は約一一一メートルである(<キ>地点と<4>地点をほぼ同位置と見て、<カ>地点と<キ>地点の距離三一〇・二メートルから<カ>地点と<3>地点の距離一六九・二メートル及び併走距離の三〇メートルを引いたもの)ことになる。右の距離関係からすると、二〇六号車の平均速度は原付自転車の約二・五倍になるので、原付自転車の速度を四〇キロメートルとするとその間の二〇六号車の平均速度は約一〇〇キロメートルであるとの計算となるが、水迫及び米澤も二〇六号車の速度について正確に速度計を見て判断したものではないことからすると、二〇六号車の追跡速度が時速約八〇キロメートルであったとの説明も、矛盾するとまではいえないようにも考えられる。しかしながら、右の試算は、原付自転車を再度発見した<カ>地点から原付自転車と併走態勢に入った<4>の手前約三〇メートルまでの間の平均速度である。しかし、前記実況見分調書や捜査報告書(〔証拠略〕)では、二〇六号車は時速一五キロメートルないし三〇キロメートル(右捜査報告書の訂正前のもの)で左折を開始し、その後Uターンして直ぐに右折態勢に入り、<カ>地点に達したというのであるから、二〇六号車が<カ>地点近くから急速走行に入ったとしても、ある程度の時間と走行距離が必要であり、<カ>地点での二〇六号車の速度が右の平均速度である時速約一〇〇キロメートルに達していた筈はなく、また、原付自転車と併走状態に入るまで右の平均速度で走行していたものを、併走状態に入ったと同時に原付自転車の走行速度である時速約四〇キロメートルに減速することが物理的にできないことは明らかであり、更に、<カ>地点から右併走状態に入るまでの距離は右のとおり約二八〇・二メートルに過ぎないのであるから、それらの点を考慮すれば、原付自転車に追いつくまでの二〇六号車の最高速度は、<カ>地点以降約一〇〇キロメートルを相当大幅に超える速度で走行しなければならない筈であるから、右の訂正されたところによったとしても、その指示説明には疑問があるといわざるを得ない。

(3) まして、訂正前の実況見分調書(〔証拠略〕)を前提とすると、その指示説明の不合理は顕著になる。すなわち、右と同じ方法による試算をすれば、水迫及び米澤が原付自転車を、発見してから併走を始めるまでに二〇六号車が走行した距離は約二六五メートル(図面(三)の<カ>地点から<キ>地点の距離二九五メートルから併走距離の三〇メートルを引いたもの)、その間に原付自転車が走行した距離は約八五メートル(図面(三)の<カ>地点から<キ>地点の距離二九五メートルから<カ>地点と<3>地点の距離一八〇メートル及び併走距離の三〇メートルを引いたもの)となる。したがって、距離関係からすると、その間の二〇六号の平均速度は原付自転車の約三・一倍ということになり、距離、速度の目測にある程度の誤差があることを考慮しても、実況見分調書の指示説明では矛盾があり、到底採用できるものではない。

(4) そこで、なお、右訂正報告書の作成の経緯について見るに、被控訴人国は、平成四年九月八日頃、水迫及び米澤が特別公務員暴行陵虐罪で告訴され、右告訴事件の担当検察官の指示で実況見分を実施した際、道路状況の誤りが発見されたため作成されたと主張するが、水迫らがUターン後、発見した際の原付自転車の位置が訂正された経緯、すなわち、その位置を訂正しなければならないと気付いた時期及び水迫及び米澤の自発的な申告によるものであったか否か等について全く説明はなく、右訂正報告書の作成者である原審証人坂口は、水迫らが当初指示していた右位置は実況見分調書添付の図面(三)のとおりであったと供述し(原審同証人の尋問調書250項から277項)、また、右訂正報告書の作成は福田警部補を通じた検察官の指示によるものであり(同523項以下)、その指示により位置の訂正がなされたと供述しているが、右位置の訂正がなされた経緯については一切述べておらず、また、原審証人水迫は、訂正報告書(乙ロ一四)中の右位置の訂正は自分の供述部分の訂正であるのに、訂正されていることに気付いていない旨の供述をするのみである(平成五年一〇月一八日付原審証人尋問調書529項)。そうすると、右訂正報告書(乙ロ一四)において位置の訂正がなされた経緯は不明であるというほかはない。

(5) 右のように、原付自転車を再発見した位置の訂正の経緯が不明であるばかりでなく、訂正後の再発見位置を前提として検討しても疑問があり、したがって、原付自転車を、発見した位置及びその後の追跡についての水迫及び米澤の指示説明には合理性があるとはいい難い(むしろ、水迫及び米澤の指示説明のとおりの速度で追跡したことを前提とし、かつ、水迫及び米澤の指示説明のとおり二〇六号車が新栄町方面から本件交差点方面に進行して、本件交差点で右折する原付自転車を認め、Uターンして実況見分調書及び訂正捜査報告書記載の位置で原付自転車及び二〇六号車が停止したものとすれば、前記試算した結果等から見る限り、二〇六号車は本件交差点の手前でUターンしたと見る方が合理的説明がつく。)。

(三)  現認直後の水迫及び米澤の対処の仕方について

(1) 水迫及び米澤は、原審証人尋問において、乙ロ一四、一五記載の経緯で原付自転車を発見した旨供述した上、図面(四)<ウ>付近で違反を発見したが、左折を開始していたのでそのまま進行し、同<オ>でUターンをして、その時点でサイレンを鳴らし、赤色灯を付け、本件交差点を右折したが、本件交差点の新栄町側横断歩道を出た付近で、サイレン及び赤色灯を止めて、時速約八〇キロメートルで走行し、追いついた時点から併走して、手で合図をして停止させたも車内での会話としては、原付自転車の赤信号無視による右折を見つけた水迫が信号無視をした旨声を発した以外は、誰も話をしていないし、口もきいていないと証言し、また、サイレン及び赤色灯を消した理由について、水迫は、鴨池新町付近一帯はかねてから二輪車などの盗難が多く、本件原付自転車も盗難車の可能性があるど判断し、盗難車の場合には赤色灯やサイレンを鳴らすと、それに興奮してスピードを上げて逃走し、逃走車の転倒や追尾車の事故等の恐れがあるので中止したと説明し(平成五年一〇月一八日付原審証人尋問調書519項、平成六年一月一七日付原審証人尋問調書256項)、また、米澤も、原付自転車の運転者が興奮などして自傷他害の危険があるのでそれを避けるためであったと説明している(平成六年六月一三日付原審証人尋問調書145項、同年九月一九日付原審証人尋問調書488項)。

(2) しかしながら、水迫及び米澤は、現行犯人逮捕手続書(〔証拠略〕)に、控訴人運転の本件原付自転車の赤色信号無視を現認したときの状況について、「信号無視の違反を現認したときの二〇六号車は交差点手前の横断歩道上で左折しようとしたときであり、二輪車は二〇六号車の進行を妨げるように信号を無視して右折してきた」と記載し、また、福田警部補及び坂口巡査部長作成の平成四年八月三一日付捜査報告書(〔証拠略〕)には、実況見分を実施した際に水迫らが「左から進行してきた単車に気付いたが自己の対面する信号機が青色であったことからそのまま左折進行しようとしたところその単車も構わず右折進行してきたので「危ない」と思ってその単車の対面する信号機を見たところまさしく「信号赤色」であったと申し立てている」との記載があり、更に、水迫及び米澤は、いずれも原審証人尋問においても同人らは控訴人運転の原付自転車が時速約四〇キロメートルの速度で赤色信号無視をして交差点に突入し、そして右折して来て二〇六号車の進行を妨げるような走行をし、水迫も米澤も危険で悪質な行為と判断したと証言している。そして、同人らの証言によれば、同人らは二〇六号車にマイクが搭載されていることも承知していたというのであるから、右のような危険かつ悪質な走行車を現認したのであれば、その時点で直ちにマイクで注意を呼び掛ける等の措置を採って然るべきである(交通違反の車両を警察官が現認したときに、夜間であっても、そのような措置を採ることは日常的に見受けることであり、鹿児島県警察本部が特にそのような措置を採らないように指示していたとは考えられないし、そのような指示をしていたことを窺わせる証拠もない。)。

ところが、同人らはそのような措置も採らず、自車の二〇六号車が既に本件交差点内に入っており、左折の態勢に入っていたからといって、当時他に走行している車両もない(この点も右両名の証言で明らかである。)のに、危険悪質な違反車をそのまま進行させて、二〇六号車の左折を完了させてからUターンし、そこで初めてサイレンを鳴らし、赤色灯を付けて追跡態勢に入り、しかも、その交差点を右折して横断歩道を過ぎる頃にはサイレン及び赤色灯を消したというのは、たとえ自傷他害の危険を考慮してサイレン及び赤色灯を消すことがあるとしても、法令上、緊急自動車として法定の速度以上の速度で走行する場合(道路交通法四一条二項)には、原則として、サイレンを鳴らし、赤色の警告灯をつけなければならず、速度違反を取り締る場合において特に必要があると認めるときにのみ、サイレンの吹鳴を免除されているに止まることが定められていること(道路交通法三九条一項、同施行令一三条一項一の五、一四条)をも考えると、本件においてサイレン及び赤色灯を消したというのは聯か腑に落ちない行動であるといわざるを得ず、水迫及び米澤が説明する現認直後の対処の仕方には疑問があるといわざるを得ない。

(四)  職務質問から現行犯逮捕までの経過について

(1) 前記のとおり、水迫及び米澤は信号無視をした原付自転車の走行方法は危険かつ悪質であると判断して追跡したというのであるから、原付自転車を停止させた段階で、免許証の提示を求めるに先立って、まず被疑者に証人らが現認した信号無視の被疑事実を告知して注意し、その後に免許証の提示を求めて然るべきであるのに、前記現行犯人逮捕手続書(〔証拠略〕)、平成四年八月三〇日付捜査報告書及び原審証人米澤の証言によれば、二〇六号車の助手席に乗っていた米澤がまず降車して、停止した原付自転車の控訴人に近づき、まず警察手帳を示し、被疑事実を告知することなく、直ちに免許証の提示を求めたことが認められる。

(2) もっとも、右各証拠及び原審証人水迫の証言並びに原審控訴人本人尋問の結果によれば、米澤が右の職務質問を開始してから控訴人の逮捕に至る過程で米澤らが控訴人に信号無視の交通違反を告げたことは認められるが、それを告げた時期が右現行犯人逮捕手続書及び捜査報告書の記載や原審証人水迫及び同米澤の各証言にあるように、最初に免許証の提示を求めて直ちに告げたかどうかは、次のとおり、疑問がある。

すなわち、右現行犯人逮捕手続書、捜査報告書、原審証人水迫及び同米澤の各証言によれば、前記のように、米澤が初めに控訴人に対し免許証の提示を求めたことが切っ掛けとなって、警察官に不信感を抱いていた控訴人が「どこにそんな権限があるのか」、「免許証を見せる必要があるのか」(原審証人米澤平成六年六月一三日付調書185項)、「これは何か職務質問か」、「免許証を見せろというが道路交通法何条に書いてあるか」、「道路交通法を見せろ」(原審証人水迫平成五年一〇月一八日付尋問調書564項、567項、569項、570項、同平成六年一月一七日付尋問調書77項から79項、)と反発し、話が拗れ、約三五分もの間押し問答が続いたが、それは主に免許証の提示や控訴人の人定を巡ってのもので、その間の米澤らと控訴人とのやりとりは前記認定のとおり第三者から見ると喧嘩をしているとして警察に通報するような激しいものであったというのであり、また、原審証人水迫及び同米澤の各証言によれば、米澤が信号無視の交通違反を告げた際、控訴人は信号無視はしていないと強く否定したというのである。

右のように、控訴人は当初から米澤らに強い調子の言葉で反発していたのであるから、米澤が最初に免許証の提示を求めた段階で直ちに信号無視の被疑事実を告げ、しかもその事実を現認した旨をも告げたのであれば、信号無視についての問答が主になり、右のように免許証の提示や控訴人の人定を巡っての押問答が延々と続くという展開にはならなかったと考えられ、この点についての前記現行犯人逮捕手続書及び捜査報告書の記載や原審証人水迫及び同米澤の各証言は、これを強く否定している控訴人の原審本人尋問の結果に照らすと、疑問があるといわざるを得ない。

(3) また、水迫及び米澤の二人の警察官が控訴人の赤信号無視を現認し、それが前記のとおり右両警察官から見て危険かつ悪質な違反であったというのであれば、水迫及び米澤の二人の警察官が違反を現認したときの状況を控訴人に説明して然るべきである。しかるに、違反事実の説明は米澤のみが行い、水迫はそれを聞いていたというのであり(原審証人水迫平成五年一〇月一八日付尋問調書578項、602項)、また、その説明の方法についても、原審証人水迫は米澤がメモ用紙に鉛筆で図面を書いて説明したと思うと述べ、原審証人米澤は、自分がメモ用紙に鉛筆で図面を書いて説明したと証言しているが、控訴人は原審本人尋問で説明を受けたことはないと否定しており、同証人らが説明に使用したというメモ用紙は証拠として提出されておらず、また、原審証人米澤の証言によれば、当時同証人は懐中電灯も持っていたというのであるから、懐中電灯と鉛筆及びメモ用紙をどの様に持って、どの様に説明したか明らかにすべきであるのに、その点についての控訴人代理人の質問に対して明確に答えていないので、米澤がメモ用紙に書いて説明したとの右証言は直ちに採用できない。

(4) 加えて、水迫及び米澤は、原審証人尋問において、本件当時警らしていた場所は盗難車両等の多い地域であり、水迫及び米澤の両警察官も本件交差点において本件原付自転車を見た時点で既に同原付自転車が盗難車ではないかとの疑いを持ち、本件原付自転車を追跡した目的には盗難車の点の捜査もあったと述べ、また、職務質問で免許証の提示を求めれば通常の者は提示するのに、控訴人はその提示を拒み、前記のとおりの反抗的態度をとり、車に跨ったまま降りようともせず、車のエンジンもかけたままであったので、控訴人に対する不信感は増幅され、盗難車の可能性の心証を募らせていたと述べているので、こうした点も考えると、水迫及び米澤は、原審証人尋問において、まず交通違反の検挙を考えて行動していたと述べているが、同人らは原付自転車が盗難車ではないかとの疑念から免許証の提示による人定の確認に拘り、これに対して控訴人が拒否を続けるという事態が続いて埒があかず、そのうちに、人集りが生じ、市民から警察に喧嘩ではないかとの通報がなされ、パトカー等が駆けつけるに至り、本件逮捕にまで発展したもので、米澤が控訴人に信号無視違反を告げたとはいうものの、同人が赤信号無視の被疑事実の現認を具体的に説明したという点については疑問があるといわざるを得ない。

(五)  水迫及び米澤の原審証言の信憑性について

(1) 本件被疑事実を現認し、本件原付自転車を追跡したときの状況及び控訴人を職務質問したときの状況についての水迫及び米澤の原審証言の内容は前記現行犯人逮捕手続書及び捜査報告書(〔証拠略〕)の記載並びに実況見分調書(〔証拠略〕)の同人らの指示説明とほぼ同じであり、したがって、同各証言は右各書証について説示したところと同じ理由により疑問があるといわざるを得ない。

(2) なお、同人らの各証言には、次のような点についても、信用し難い点がある。

すなわち、原付自転車のエンジンが切られた時期について、水迫及び米澤は、原審証人尋問において、現行犯逮捕を告げたと同時に逮捕行為に入っているが、控訴人が原付自転車のエンジンを切ったのは水迫が現行犯逮捕を告げ、それが言い終わったと同時で、逮捕行為の前であると証言し(原審証人水迫平成五年一〇月一八日付尋問調書665項、681項から685項、同証人平成六年一月一七日尋問調書115項から119項、124項、原審証人米澤平成六年六月一三日付尋問調書211項、212項、239項)、また、水迫はエンジンを切るところを見ている(同平成五年一〇月一八日付尋問調書675項、676項、平成六年一月一七日尋問調書120項)と証言しているが、前記認定のとおり、水迫が控訴人に逮捕を告げて、直ちに、米澤が山下巡査の手錠を受け取り、控訴人に手錠をかけており、その際に控訴人は抵抗することなく素直に応じていたというのである(原審証人米澤平成六年六月一三日付尋問調書238項)。そうすると、右の逮捕を告げたときと手錠が掛けられた時期は極めて接着していたと見ざるを得ないから、その間に、原付自転車に跨っていた控訴人が原付自転車からエンジンキーを抜き出して着用していたズボンのポケットに入れるという時間的間隔があったとは考えられない。しかるに、原付自転車のエンジンキーは控訴人着用のズボンの右ポケットから差し押えられているので、原付自転車のエンジンを切った時点は現行犯逮捕を告げられる前であるという原審控訴人本人の供述の方が水迫及び米澤の前記証言よりも信用できるというべきであり、水迫らの前記各証言は採用できない。

2  以上詳述したとおり、本件被疑事実を現認したという点に関する前記現行犯人逮捕手続書(〔証拠略〕)及び捜査報告書(〔証拠略〕)の各記載、実況見分調書(〔証拠略〕)の同人らの指示説明、同人らの原審証人尋問における各証言はいずれも疑問があり、したがって、それらは、水迫及び米澤が本件被疑事実を現認した証拠として採用することはできない(もっとも、本件当時水迫及び米澤は二〇六号車に実習生を同乗させて警ら中であり、また、本件に関しては多数の警察官が係わっているのに、水迫及び米澤が敢えて虚偽の事実の記述、証言等をするであろうかという疑念は残る。しかしながら、そのような事情があるからといって、それらの事情をもって前示の疑問が全て払拭されるものではないから、右の各証拠をもって水迫及び米澤が本件被疑事実を現認したとは認められない。)。

しかるところ、他に、本件被疑事実を認めるに足りる証拠はないから、結局、水迫及び米澤は本件被疑事実が認められないのに控訴人を現行犯逮捕したものとして、本件逮捕は違法であり、それを基になされたその後の留置の継続も違法である。

なお、控訴人は、当時、鹿児島県警は平和運動等に携わる鹿児島大学学生を弾圧していたものであり、本件は、その一貫として、平和運動等の鹿児島大学での中心的な存在であった控訴人を弾圧するためのフレームアップであって、本件逮捕当日も、控訴人が有村ビルから出て以降、警察車両の追尾を受けており、二〇六号車もそのうちの一台である旨主張し、原審控訴人本人尋問においてその旨の供述をするほか同趣旨を記載した陳述書を提出している。確かに、前記のとおり、控訴人は、当時反戦平和運動の鹿児島大学での中心的な存在であって、少なくとも鹿児島地方検察庁においては、控訴人が平成二年から同三年にかけて革マル派が主導権を持っている鹿児島大学教養部学生自治会執行委員長に就任し、同自治会等が主催する集会、デモ等に参加していることを把握していたと認められ、また、前記認定のとおり、本件全証拠によっても、控訴人が本件被疑事実を犯したことを認めるに足りず、また、前記認定の事実からすると、南警察署による控訴人の住所調査等には若干不十分で、不適切な点があったことは認められるが、これらのことから控訴人の右主張及び供述を採用することはできない。

三  なお、控訴人は、他にも警察官らの行為に違法な点があった旨主張するが、二で認定判断した点以外に、国家賠償法上の違法な点があったとは認められない。

四  送致を受けた検察官の措置の適否について

1  捜査段階において身柄の拘束を受けている被疑者について司法警察員から送致を受けた検察官は、留置の必要がないと思料するときは直ちに釈放しなければならず、留置の必要があると思料するときは二四時間以内に裁判官に勾留を請求しなければならず(刑訴法二〇五条一項)、そして、その勾留請求には、請求時に犯罪の嫌疑について相当な理由があり、かつ、勾留の理由及び必要性が認められなければならない。ところで、勾留請求は検察官が裁判所に対して勾留を求める意思表示であるから、勾留請求時における検察官の心証は、各種の証拠資料を総合勘案して、合理的な判断過程により犯罪の嫌疑について相当な理由があり、勾留の理由及び必要性を裏付ける事実が認められれば適法といえるが、通常要求される証拠の収集を怠り、あるいは、収集された証拠の評価を誤り、証拠上勾留の裁判を期待し得る合理的な理由がないのに、あえて勾留を請求した場合(最高裁昭和五九年(オ)第一〇三号平成元年六月二九日第一小法廷判決民集四三巻六号六六四頁参照)や軽微な犯罪であって起訴猶予処分に終わることが明らかであるなど、起訴価値がないことが明らかな被疑事実について勾留を請求した場合には違法となると解すべきである。

そこで、本件について、検察官が控訴人について道路交通法違反被疑事件の被疑者として送致を受けた後に採った措置の適否について、順次検討する。

(一)  本件被疑事実の嫌疑の有無について

前記認定のとおり、清水検察官が事件送致を受けた後、被疑者である控訴人と面接し、被疑事実についての弁解の機会を与えた際、控訴人が本件被疑事実を否定したことは認められるが、送致の際に送付された水迫及び米澤作成の現行犯人逮捕手続書、捜索差押調書、福田及び坂口共同作成の捜査報告書、水迫及び米澤作成の本件被疑事実の現認報告書、実況見分調書、本件被疑事実発生場所の信号現示についての電話受発書、控訴人の犯罪経歴照会回答書、司法警察員作成の控訴人の弁解録取書、南警察署山田駐在所に対する控訴人の在籍照会書、山下陽一巡査作成の報告書(〔証拠略〕)等の一件記録からすれば、控訴人について送致を受けたときはもとより、勾留請求をした時点においても、本件被疑事実の嫌疑について相当な理由があったといえるから、清水検察官が本件被疑事実の嫌疑があるとの判断した点に不合理があったとはいえない。

(二)  起訴価値について

控訴人には前科・前歴がなく、大学生であったが、前記のとおり本件被疑事実には罰金刑のみならず、懲役刑も定められており、控訴人は、清水検察官に対する弁解録取に本件被疑事実を黙秘していたこと、検察官には起訴不起訴について広範な裁量を有していること等を考慮すると、当時、本件被疑事実について起訴価値がなかったと一概に判断することはできない。

(三)  勾留の理由及びその必要性について

(1) 前記のとおり、清水検察官の指示により調査した控訴人の両親の供述調書が平成四年九月一日午前一一時頃送付され、そのうちの控訴人の母敏子の供述調書には控訴人の住所として「鹿児島市荒田二丁目有村ビル三階」の記載があるが、そこに控訴人の生活の本拠があるか否かまでの確認はとれていなかったから、検察官として、その時点で収集された証拠によって、控訴人の住居について刑事訴訟法六〇条一項一号にいう住居不定と判断をしたことが合理性を欠くとはいえない。なお、右供述調書によれば、そこが控訴人の住居である可能性も十分あるから、その正確な番地を確認し、そこに真実控訴人が居住しているか否かを確認した上、住居の判断をするのがより適切であるといえるが、検察官が裁判所に対して勾留請求すべき時間は、被疑者を受け取った時から二四時間内との制約があり(別事訴訟法二〇五条一項)、特に、本件で右供述調書を送致されたのは、勾留請求期限の約三時間前であったことなどからすると、勾留請求以前にその措置を採らなかったことが通常要求される捜査を怠った違法があるとまではいえない。

(2) また、本件は、信号無視で、一般的には、交通反則事件として処理されている事案であるが、一控訴人は、本件被疑事実の黙秘ないし否認を続けており、前記のとおり、生活の本拠と認められる住居は未だ不明であって、生活実態も不明であったことからすると、検察官が控訴人について刑事訴訟法六〇条一項三号にいう逃亡のおそれがあると判断したことに合理性がないとまではいえない。

(3) また、永見弁護士及び控訴人の父實俊が控訴人の身柄の引受けを申し出ていたことは、前記認定のとおりであるが、身柄引受は、裁判等への出頭の確保と裁判の執行のための身柄の確保等を図るためのものであるところ、永見弁護士は、前記のとおり、全日本学生自治会総連合の救援対策本部から連絡を受けた町田弁護士からの依頼によって控訴人の弁護人となるべく南警察署を訪れて控訴人と接見したものに過ぎず、原審証人永見寿実の証言及び同証人作成の報告書(〔証拠略〕)によっても、当時控訴人の生活状況や住居を把握して、控訴人の取調べ及び裁判等への出頭の確保について具体的な検討を経た上身柄引受の申出をしたとは認められず、また、控訴人の両親から聴取した前記認定の事実からすると、父實俊に控訴人の居所を的確に把握し、取調べ及び裁判等のための出頭の確保を期待できる状況にあるとは認め難いから、右身柄引受が逃亡のおそれを否定し、留置の必要性を消滅させるものとはいえない。

(4) なお、事案内容が軽微であるという点については、前記起訴価値について説示したところと同じ理由により、本件について被疑者の勾留の必要性がないことが明らかであるとまではいえない。

2  以上のとおりであるから、清水検察官が控訴人について留置の必要性があると思料し、勾留請求をした点に違法があるとはいえない。

なお、当審証人清水の証言によると、原判決別紙四のとおり、清水検察官は勾留請求書の勾留理由に「被疑者の住居・居所を鋭意捜査中」、「警察官四名の取調べ」、「再度の実況見分」、「原動機付自転車について、その所有関係をも捜査」の必要があるとし、将来的にそれらの捜査が予定されているかのような記載をしながら、最終的にそれらの捜査はなされなかったことが認められるが、それは担当警察官との連絡が十分でなかったことが原因と認められ、勾留状の執行後釈放までの間に、控訴人に対する勾留の理由がなくなったものでもないから、控訴人を釈放するまで留置していた点についても違法とはいえない。

五  一木裁判官の勾留の裁判について

裁判官の勾留の裁判も、裁判の安定性及び裁判官の独立を図る必要があることは訴訟事件と同様であるから、当該裁判官が違法又は不当な目的をもって裁判したなど、裁判官がその付与された権限の趣旨に明らかに背いてこれを行使したものと認めえるような特別な事情がない限り違法はないと解すべきである(最高裁昭和六二年(オ)六六七号平成二年七月二〇日第二小法廷判決民集四四巻五号九三八頁参照)。

しかるところ、本件においては右のような特別な事情は認められないから、一木裁判官の勾留の裁判には違法はない。

六  被控訴人県の損害賠償義務について

前記認定のとおり、被控訴人県の公務員である水迫及び米澤がその職務の執行として行った本件逮捕は違法であり、その結果、控訴人は四日間身体の拘束を受けたことになるから、被控訴人県は、国家賠償法により控訴人の被った肉体的精神的苦痛に対し、その損害を賠償する責任がある。そして、その額は本件事案の内容等諸般の事情を考慮すると五〇万円とするのが相当であり、また、本件事案の内容及び訴訟の経緯等からすると、右不法行為と相当因果関係のある弁護士費用は一〇万円と認めるのが相当である。

七  結び

以上の次第で、控訴人の本訴請求は、被控訴人県に対し、六〇万円の損害賠償及び不法行為の日以後である平成四年九月二日から支払済みに至るまで民法所定の年五分の割合の遅延損害金の支払を求める限度で理由があり、その余の部分は理由がない。

よって、原判決中、被控訴人県に対する請求を全部棄却した部分は相当でないから、同部分を右認定のとおりに変更し、被控訴人国に対する請求を棄却した部分は相当であるから、同部分に対する本件控訴を棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 海保寛 裁判官 多見谷寿郎 水野有子)

別紙〔略〕

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